2025年、僕は美作の里山に古本屋「Books tabito 蔵」をオーブンしました。営業は原則として金・土・日・月の12時30分〜17時です。それ以外の時間は、どこで何をしても自由な時間。たくさんの「自分で何をするのかを決められる時間」を手にしました。多くの時間を草刈り、家庭菜園、枯葉掃除などに費やすことになりましたが、それでも本を読む時間もそれなりに増えました。
いつものように、2025年に出版された本ではなく、あくまで僕が2025年に読んだ本から。
驚きました、その行動力に。普通、会ったこともないヨルダンの本屋さんの店長に「働かせてくれ、1ヶ月泊まらせてくれ」ってメールできますか。僕には絶対できません。
第1位 フウ「ヨルダンの本屋に住んでみた」(産業編集センター)
最高に面白い!
大学生のうちに20カ国ほどを旅し、各国で出会った人と冒険を続けてきた22歳の著者が、今度は「滞在」したいと思い、ネットで見つけたのがヨルダンのとても素敵な本屋さん。
「店長さんへ 店をお手伝いさせていただきたく、願わくばあなたの素敵なお店に一ヶ月ほど泊まらせてもらえませんか」という熱いメールを送った返事が「OK」。一ヶ月のアルバイトで渡航費を稼ぎ、ヨルダンへ。
その素敵な本屋さんはカフェも併設していて、そしてイタリアやフランス、イギリスなどから著者と同様に住み込みで働くとんでもなく愉快で魅力的な仲間たちがいた。もちろん著者もとにかく素敵!
一緒に働く仲間は誰もがとても魅力的で、そしてこの本屋さんもとてつもなくいい。世界にはこんな素敵な場所があって、こんなに魅力的な人々がいることを知る。
中の写真もいいし、表紙もとても素敵です。
ヨルダンのこの本屋さんに行ってみたい! スタッフに会ってみたい、できることなら一緒に働いてみたい! と思わせる本。
note創作大賞エッセイ部門入選作の書籍化。
今年後半は、テレビにも引っ張りだこでした。新しい学問分野を創設するなんてとてもすごいことです。
第2位 鈴木俊貴「僕には鳥の言葉がわかる」(小学館)
僕は毎朝、鳥たちの囀りで目が覚める。その囀りに「求愛」や「縄張り」以外に「餌があるぞ、集まれ」や「蛇がいるぞ」や「鷹がいるぞ」など同種や別種の鳥に知らせる言葉が含まれているとは・・・・。
シジュウカラの鳴き声のレパートリーが驚くほど豊富なことに気づいた著者は、軽井沢の山に通い観察を続け、その鳴き声ひとつ一つに意味があることを突き止める。そして「ジャージャー」という鳴き声(=言葉)を聞いたシジュウカラは蛇を頭に思い浮かべ、それを探して危険度を判断する。そのことを様々な実験、観測で証明していく。その過程が面白すぎる。
世界的なジャーナルに掲載されたいくつもの論文は大絶賛を浴び、ついには「動物言語学」という新しい学問分野を立ち上げてしまう。
人間だけが言葉を操れるのではなく、シジュウカラも言葉を操ることが証明されました。であれば、他の鳥類も哺乳類も言葉を操っていると思うことが自然でしょう。爬虫類や両生類が言葉を操れないと証明されたこともなく、それらも言葉を話しているとしたら・・・。そしてそれらの意味を僕らが理解できるようになったら、山歩き、街歩きが今よりも100倍も楽しくなるでしょう。そんなことを思わせる名著!
歴史家なんだけど、その歴史を踏まえて今の状況にどうコメントするのか、いつもこの著者には注目しています。住んでいるイスラエルについても書いて欲しいなぁ、とも思います。
第3位 ユヴァル・ノア・ハラル「NEXUS 情報の人類史」(河出書房新社)
情報とは「まったく異なるものを結びつけて新しい現実を創り出す。情報の決定的な特徴は、物事を表示することではなく結びつけることであり、別個の点どうしをつないでネットワークにするものなら、何でも情報となる。」そして、その情報ネットワークが人類の歴史をどのように作ってきたかを多くの歴史的な出来事を例に明らかにしていきます。
現在の民主主義も全体主義も、印刷技術やマスメディアの発見と進化の結果であり、それらが民主主義も全体主義も可能にしてきました。
第5章「決定-民主主義と全体主義の概史」は恐怖です。「要するに、独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集中型の情報ネットワークだ。それとは対照的に、民主社会は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワークだ」とします。ところが、公正な選挙で選ばれた政権が、民主社会を簡単に強権的な独裁制、全体主義に変えていく様が描かれます。これは今から起こることではなく、これまで起こったことです。そして、現在の情報ネットワークはそのことをますます容易にしていることが明らかにされます。
「強権的な指導者が民主制を切り崩すのに使う最もありふれた方法は、自己修正メカニズムを一つ、また一つと攻撃するものであり、手始めに標的とされるのは、裁判所とメディアであることが多い」「典型的な独裁者は、裁判所の権限を奪ったり、忠実な支持者だらけにしたりするとともに、独立した報道機関を全て閉鎖しようとする一方で、自らのプロパガンダ機関を構築して至る所に浸透させる」「学術機関や地方自治体、NGO、民間企業は解体されるか、政権の統制下に置かれる」
これは「歴史」ではなく、いま起こっていることでしょう。そして、独裁社会や全体主義社会が民主社会に移行する際には壊滅的な悲劇がそこにあったことを私たちは知っています。だから恐怖を感じるのです。
そして、下巻は
AIは「自ら決定を下すことと、自ら新しい考えを生み出す」ことが、印刷機やラジオやテレビなどとは全く異なる。その意味で、AIとは非有機物による「エイリアン・インテリジェンス」である。2016年のロヒンギャ虐殺ではフェイスブックのアルゴリズムが、致命的な決定を自ら能動的に行なっていたことが一の要因である事実を指摘し、哲学者ニック・ボストグラムの「ペーパークリップ」の思考実験を紹介する。これは、スーパーインテリジェンスを持つコンピューターにできるだけ多くのペーパークリップを製造するように指示すると、「コンピューターは、この目標を追求して地球という惑星全体を征服し、人間を皆殺しにし、さらに遠征隊を派遣して他の惑星を乗っ取り、獲得した膨大な資源を使って全銀河をペーパークリップ工場で埋め尽くす」ことになってしまうというものだ。
「自ら決定を下し、自ら新しい考えを生み出す」AIと民主主義、全体主義の関係を展望する。どちらもディストピアを予想させる。しかし著者はこうまとめる、「良い選択をする重い責任を私たち全員が担うことを意味する。もし人間の文明が争いによって破壊されたとしたら、どんな自然の法則のせいにも、人間のものとは異質のテクノロジーのせいにもすることができない。それはまた、私たちが努力すれば、より良い世界を生み出せることも意味する。」
情報、NEXUSの歴史と本質、いま起こっていることを正しく認識するところから、私たちは努力を始めなくてはならないのでしょう。まずは、本書を読むことから。
高野と角幡、この二人から目が離せません。
第4位 高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」(本の雑誌社)
テレビ番組「クレイジージャーニー」の取材でエチオピアの酒を主食とする人々を訪れる。高野の旅だから、当然予定通りにはいかない、破茶滅茶な旅である。でも、実際にとんでもないのは、酒を主食とする人々が本当にいた! ことだった。
朝食も昼食も、もちろん夕食も、小腹が空いても、喉が渇いても、お酒を飲む。病人も妊婦も子どももである。そんな民族が実在する。テレビ取材だから、いつもの著者の旅と違ってとても短い期間だけど、それでも著者は一つの家族と生活を共にし、彼らと同じように「食事」する。3日もすると、固形物を食べるのに苦労するようになる。顎が弱っているのである。最初は「?」な味だったお酒が、とても美味しく感じるようになる。喉が渇いて、そのお酒を飲むとホッとするようになる。
アルコール度数5度程度のお酒を毎日5リットル程度飲むという。それでも、仕事をして、生活もきちんと回っている。地元の医者によると、彼らの体調はすこぶるいいらしい。周りの他の民族と比較しても身体は頑強で、内臓にも問題ない。医学の常識を疑った方がいいかもしれないと、著者はいう。
著者の考察はこうだ。アルコールが体に悪いわけではない。飲み過ぎが悪いわけでもない。一緒に固形物を食べる、ついつい食べ過ぎる、そのことが問題なのではないかと。問題は食べ合わせじゃないかと。
現実に目の前に酒だけですこぶる健康に生きている人たちがいるのだから、というのは酒飲みの戯言だろうか。
参考文献が面白い
砂野唯「酒を食べる エチオピア・デラシャを事例として」(昭和堂)
篠原徹「ほろ酔いの村 超過密社会の不平等と平等」(京都大学学術出版会)
大学の先生って、こんなところへも行って調査をしている。この国はこんな研究を好きなだけやってもらう、パトロンのような国になればいいよなぁと思うのであった。
日本人の透析患者の数からすると、透析している人を知っているという人は結構多い、というかほとんどの人はそんな知り合いがいるんではないでしょうか。そして、結構な確率で透析をする未来から逃れることができないとしたら、今この本を本でおいた方がいいと思います。
第5 位 堀川惠子「透析を止めた日」(講談社)
知らないことが多すぎる。この本からたくさんのことを知った。
透析患者は生きているかぎり透析を続けるしかないことは知っていたけど、透析を止めた後に旅立つまでの間に人生最大の苦しみがあることは知らなかった。止めたら死ぬけど、それは穏やかなものだと思っていた。
誰もが、死の間際に緩和ケアを受けられるものと思っていた。しかし実際は、緩和ケアを受けられるのはがん患者とAIDS患者、重度の心不全の患者に限られていて、透析患者をはじめその他の病気の患者は受けることができない。
透析に血液透析と腹膜透析という二つがあることも知らなかった。日本の腹膜透析の患者は透析患者全体の2.9%だという。香港では69%、欧州やカナダでは20〜30%、日本は極端に少ない。
著者は取材を進める中で、腹膜透析患者のQOLがとても高いことに気がついた。終末期に腹膜透析を選んだ患者と家族、医療関係者の見取りの場面がとても穏やかで、どこか「納得」して死を見送っていたと感じた。
しかし、日本で腹膜透析はなかなか普及しない。そこには、巨大医療ビジネスの闇、それは診療報酬という形での国の「関与」がある。それらを明らかにしながら、それでもこの状況を改善しようと全国で励んでいる医療従事者を取材し、僅かな希望を見出そうとする。
本書は、著者と透析患者の夫の塗炭の苦しみから、「ことに終末期に生じる問題について、患者の家族の立場から思索を深め、国の医療政策に小さな一石を投じようとする」ものである。そして、その試みは成功し、国は緩和ケアの対象に腎不全を含めることにした(2025年11月5日 中央社会保険医療協議会)。
慢性腎臓病は日本人の5〜8人に1人が罹患する国民病(本書解説より)であるので、僕自身、あるいは家族や友人たちの誰が罹患してもおかしくないものである。本書に出会って、本当に良かった。
これをしたらダメだということがはっきりしていればまだなんとかなるかもしれないけど、それが曖昧だととても怖い。全く意識しない行動が、あるいは中国外での発言や行動によって拘束されたりしたら・・・・・。曖昧であるということを戦略的にやっているわけですが、我が国の首相ははっきりと言ってしまったがために、抑止力を失いました。
第6位 西谷格「一九八四+四〇 ウイグル潜行」(小学館)
2023年の新疆ウイグル。
ビジネスホテルに到着すると空港のようなX線ゲートで手荷物検索。街中を歩くと警官の数が異常に多く、交番のような警察官詰め所が数百メートルおきにあり、安ホテルに泊まろうとすると人民警察の職務質問を受けなければならなく、諦める。モスクの写真を撮ると、どこからともなく警官が現れて削除させられる。監視カメラはほぼすべての店舗の入り口と電柱に備え付けられていて、タクシーの中ですら撮影、盗聴されている。
ウイグル人たちは決して本心を話さない。誰が政府と通じているかわからない、疑心暗鬼。日本の戦中の隣組のように互いに監視し合う世界。
新疆ウイグルでは強制収容所のことなど聞けるはずもなく、隣国ウズベキスタンへ。そこで強制収容所からの生還者に話を聞く。その話は悍しいものである。
しかし、隣国でもまた日本でも「本心」を語れないウイグル人がたくさんいる。彼らの家族や一族が新疆ウイグルにいる場合、ウズベクでも日本でも彼らが何かを話す、何か行動すると全てが中国政府に筒抜けで、その家族や一族に被害が及ぶ。そんなことが本書で語られる。
2023年の中国は、オーウェル「一九八四年」を凌駕する監視社会だった。著者は自身は「親中」でも「反中」でもないという。現在の中国政府のウイグルに対する統治について「こうするよりほかにないかもしれない」と思うことすらあると吐露している。
しかし、僕は怖い。
日本と世界を覆うポピュリズムは、不平等が拡大しているが要因の一つです。どうしたら、不平等をなくしていけるのか。その方法は提示されています。この国でなんとも不思議なのは、低所得者ほど減税を求めていることです。所得の再分配機能が正しく機能しているのであれば、低所得者ほど増税を、それも極めて累進課税を求めるべきなんだと思うのですが。政治、政治家が信用されていないからそうならないんでしょう。
第7位 トマ・ピケティ、マイケル・サンデル「平等について、いま話したいこと」(早川書房)
不平等の3つの側面=経済的側面、政治的側面、そして社会関係-尊厳、身分、尊重に関する側面、について語り合う。
トランプやル・ペンを生み出したものは左派がそれらについて置き去りにしてきたからだ、という。そしてそれらを解決していくためには、経済の脱商品化、累進課税の強化、大学入試や議員をくじ引きで・・と、幾つもの提案がなされる。二人の考えは、微妙に異なるが、大筋では合意されながら議論は進んでいく。
読者の覚悟が求められています。平等であるべきだ、とすれば3つの側面で大胆な改革を進める必要があることは明白で、それを現実の政治に引き付けて考えれば、各政党の今の主張、施策は平等を拡大するものか、不平等を拡大していくものなのかを見極めていく必要があり、それについて行動することが求められるということです。
ピケティ「公共サービスや基本財に投入する国民所得の割合を増やしていかなければならないという考えを、われわれはどこかの時点で受け入れなくてはなりません。では、どこまで増やせばよいのでしょうか? ヨーロッパ諸国を見ると、第一次世界大戦前までは税収が国民所得の10%未満でした。それがいまでは50%です。これを60%、70%、80%にあげなくてはならないのでしょうか? それは分かりません。ですが、あげる必要はあるのです。」
「アメリカでは20世紀、何十年にもわたって所得税の最高税率が80%や90%だったのです。1930年から1980年までのあいだ、所得税の最高税率は平均した82%でした。それでもアメリカの資本主義が崩壊したようには見えません。むしろこの時期のアメリカ経済は、労働時間あたりの国民所得で見た生産性は世界最高で、ほかの国々を大きく引き離していました。」
僕の住む市には新刊書店が一つもありません。今や、地方はそんなものです。都市に行かないと新刊本屋さんがない。なぜそうなったのか、答えはこの本にあります。
第8位 飯田一史「町の本屋はいかにしてつぶれてきたか 知られざる戦後書店抗争史」(平凡社)
素晴らしい本! 戦後の町の書店の歴史を、簡潔にわかりやすくまとめた本。長く書店業界に身を置いた身としては、知っていたり、聞いたことがあったり、または実際に体験して憤ったりしたことが多いのだけど、テーマ毎に時系列で整理されていて、とてもわかりやすい。今後の町の書店をめぐる議論はこの本をベースに進めればいい。間違った言説が巷を賑わしているけど、この本にある事実から始めた方がいい。そうでなければ、戦後ずっと続けてきた不毛の議論をまた続けることになる。経産省の「書店振興プロジェクトチーム」もそうならなければいいけど。残念ながら、そうなりつつある気がするけど。
スマホの普及、本を読まなくなった、amazonが上陸したことが町の本屋を潰したわけではない。書籍・雑誌の売り上げがピークに向かって伸びていた1980年代にはすでに毎年1000店以上の町の本屋が潰れていたという。町の本屋は潰れないように「抗争」を仕掛けたが、出版社、取次、公取にことごとく破れ去ってしまった。「出版社、取次、公取が町の本屋を潰した」のである。
いま、出版社や取次が町の本屋がなくなっていくのは「問題」だと言っているとしたら、それは本心からのものではないことを長く業界に身を置いた僕は知っている。出版社は自社の本がどこで売れてもいいわけで、取次は面倒な中小書店へは本を運びたくない、というのが本音だろう。今でもそれは変わっていない。
ただ、著者はamazonがたった1社で、たった数年で書店が仕掛けた「抗争」で得ようとしていたことを得てしまったことも報告する。正味の改善、新刊の確保、注文品の物流、返品率の減少・・・・。つまり、日本の書店は「力」が足りなかった。
先の対戦で大和人が沖縄と沖縄の人々を犠牲にしたのも、今でも米軍基地の負担を押し付けているのも、南西シフトという名目で新たな負担と、万一の場合の犠牲を強いてくるのも、元々日本とは別の国家だった沖縄を琉球処分という名のもと植民地化したことによります。
第9位 塩出浩之「琉球処分 「沖縄問題」の原点」(中央公論新社)
琉球処分について、日本側の視点だけではなく、琉球王家が所蔵していた「尚家文書」を活用して琉球の視点からも詳述していく。
琉球処分とは、日本が琉球王国を滅ぼし、植民地化する過程であった。清と日本に両属していたとはいえ、それは当時の東アジアでは特別なことではなく、琉球王国は日本や清とは異なる一つの国家であった。したがって、琉球処分は日本の国内問題ではなく、東アジアおよび西洋列強、ロシアをも巻き込んだ事象になっていった。
日本がどれだけ過酷なことを強いたかが明らかになる。そして、琉球がどれだけそれに抵抗したか。結局、琉球は日本ではなかった。「琉球処分以後の沖縄は、大和人が沖縄人の上に立つ植民地となったからだ。(中略)大和人による沖縄人への差別や蔑視は根強く続くことになる」
「日本の一部となったことによる影響は、今日も続いている。今日、普天間基地の移設問題について沖縄に「自己決定権」がないのは、突き詰めていえば(中略)琉球処分の結果と地続きなのだ」
沖縄に「遊び」に行くなら、琉球処分について深く知ってから行ったほうがいい。そこは150年前には日本とは別の国だった場所である。
この本を読んだのは何回目でしょうか。
第10位 ジョージ・オーウェル「一九八四年(新訳版)」(早川書房)
「一九八四+四〇 ウイグル潜行」を読んだのちに、改めてオーウェル「一九八四年」を読む。最初にトランプ大統領が就任した2017年以来だけど、これまで何度か読んでいる。しかし、細部はすっかり忘れていました。
覚えているのは、「ビッグ・ブラザー」「テレスクリーン」「ニュースピーク」「二重思考」、そして「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「無知は力なり」。
共産主義や全体主義を批判したディストピア小説として知られるけど、いまだに読み継がれるのは、もっと普遍的に権力そのものの本質をついているからでしょう。「権力は手段ではない、目的なのだ。・・・・迫害の目的は迫害、拷問の目的は拷問、権力の目的は権力。それ以外に何がある」「ナチス・ドイツとロシア共産党は方法論の上ではわれわれに極めて近かったが、自分たちの動機を認めるだけの勇気をついに持ち得なかった」
プーチンやネタニヤフ、そしてトランプ、その他たくさんの指導者がついにその動機を認めてしまったかのように振る舞っています。
本書に書かれた当時としての未来を、現代の世界の一部についてはすでに凌駕してしまっているかもしれません。克服ではなく、凌駕です。
「1984年」は「2025年」かもしれないし、「2030年」かもしれません。この本を読んで、覚悟しましょう。
2026年も晴耕雨読で行きたいなぁ。













