2015年12月27日日曜日

2015年 今年読んだ本 ベスト10

 ベスト10を書くのは数年ぶり。今年2015年は、結構いい本に巡り会えた。ベスト10を選べる程度に。今年僕がたまたま読んだ本のベスト10であって、今年出版された本ではないことも付け加えておくことにします。

第1位 高野秀行「謎の独立国家ソマリア」(本の雑誌社)

 すごいルポ。でも著者が高野だから、旅をしているようなのである。久々に大興奮した大著!

 全土がリアル「北斗の拳」状態だと多くの人が信じている崩壊国家と言われる旧ソマリア。しかしそこに、独立を宣言して十年以上も平和を維持し、民主的な選挙で大統領を選び、平和裡に政権交代が行われている「国」が存在する。著者によると、国内に紛争を抱えているタイやミャンマーよりもずっと安全なのだそうである。それがソマリランド。独特の氏族社会、その掟、独立後の2度の内戦から学んだとんでもない知恵・・・・。著者は夜な夜なのカート宴会でその秘密を探りだす。そして、日本の2院制なんて意味がない、と喝破してしまうほど「正しい」独自の議会制度、民主主義の仕組みを作り出した秘密を暴き出してしまうのである。

 当たり前だが、政治や民主主義を語る本ではない。何しろ高野である。基本的にUMA(未確認生物)を探す探検と同じように、彼にとっては、発見されていない未知の事実を探る旅なのである。無茶苦茶な旅なのである。そして、それを追体験できる幸せなのである。


第2位 角幡唯介「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンボー峡谷に挑む」(集英社)

 地球上に残された地図上の最後の空白地帯、グランドキャニオンよりも数倍も広くて険しいとされるチベット・ツアンボー峡谷の人跡未踏の5マイルをたった一人で踏破する2回の大冒険。
 個人にとっての大冒険というのは、いつだってまだ十分に残されているんだけど(子供にとっては「はじめてお使い」だって大冒険だ!)、人類史における冒険というのはというのはこの地球上ではもうそんなに残されていない。という残念な状況のなか、大学時代を冒険部で過ごしていた著者は、ふと手にした本でツアンボー峡谷のことを知ってしまう。そして、大学時代の偵察行、1回目の単独行。さらに、7年後に仕事を辞めての2回の単独行。
 スリリングである。温ぬくとした部屋で読むのが躊躇われるくらいに、スリリングである。様々な経験をしたトップ級のカヌーイストが「生きて帰ってこられないかもしれない」と言いつつ旅立って、実際に遭難してしまう・・・・そんな厳しい川や峡谷を目の当たりにしたことのない僕は、著者の冒険を本当のところで理解することはできないのだろうと思う。そう思いながらも、引き込まれていく。命の極限に身を置きたい、まだ見ぬ地を見てみたい、誰もやったことのないことをやり遂げてみたい、それは人間の持つ本能のようなものたろうか、でも結局そういうことができない僕は、ただ本を読むのである。そして、行った気になる。


第3位 網野善彦「日本の歴史をよみなおす(全)」(筑摩書房)

 20年前からのベスト&ロングセラー。
常識は疑われなければならないし、学び続けなければならないということを改めて知らしめる一冊。例えば、中世・近世の日本が決して農業社会ではなかったということ。人口の90%が「百姓」であったが、「百姓」=「農民」というのは近代が解釈した間違いであったということ。もともと「百姓」は百の姓、つまり市井の一般の人々をさす言葉だった。漁民も森民も商人も工人もすべて「百姓」であった。そういうことが、ここ数十年の研究でわかってきた。そんなことがいくつもいくつもあって、こんなに鱗があるのかと思うほど、目から鱗が落ちた。
新しい研究の成果を長い間知らずに、かつて学校で学んだことをそのまま真実だと信じて生きてきたここ数十年。すでに真実ではなくなったことをあたかも真実であるように話、発言をしてきたんだうろなーと思うと恥ずかしい。もっと早く読んでおくべきだった。


第4位 石井光太「浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち」(新潮社)

 終戦直後、上野駅周辺は空襲で焼け出されて身寄りがなくなった「浮浪児」が溢れていた。全国では12万人以上の戦災孤児が生まれたらしい。
 いつの間にか彼らはいなくなり、そして「居なかったこと」になっていないか? 人々の記憶にも、歴史の記録としても残っていないのではないか。 戦後70年が経ち、当時の浮浪児の多くが鬼籍に入ろうとしている現在、いま記録しておかなければ永遠に「居なかったことになる」との危機感を持った著者は5年の歳月をかけ、元浮浪児や彼らを「保護」した施設の関係者などに取材を重ねる。
 彼らは悲惨で、一方で逞しかった。しかし、戦争さえなかったら、せめてもっと早く終わっていたら、彼らはもっと別の人生、多分少しはマシな人生があったんたろうと思うと、切なすぎる。

 世界を眺めると、今でも子供たちが戦争や紛争のもっとも悲惨な犠牲者になっている。


第5位 辺見じゅん「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(文藝春秋)

 11年。シベリアの収容所(ラーゲリ)に閉じ込められて、強制労働と飢えと絶望に耐え続けた時間である。抑留者の1割強、約7万人が帰国することなく亡くなった。その中の一人は巨星であった。誰もが絶望を感じて下を向いて強制労働へ向かう隊列のなか、一人空を見上げて、シベリアの空の青さを讃える男。驚くべき知性と、ユーモアと、そして抑圧や拷問にも屈しないしなやかな精神力。自然とその巨星の周りには人々が集まった。
 しかしその巨星は癌に侵され、シベリアの白樺の根元に眠ることになる。その男が書いた遺書。母親と、妻と子ども達に当てた遺書。しかしそれは普遍的で、収容されたものすべての代表しているようであった。したがって、それは絶対にその家族の元に届けなければならないものだった。
 日ソ共同宣言が調印されて、すべての抑留者が帰国できるようになってからでさえ、一切の紙片さえも持ち帰ることができない中、彼を敬慕する仲間たちは驚くべき方法でその遺書を持ち帰り、彼の家族へ届けた。なんと、分担して記憶して帰ったのである。そして再現した。
 収容所のなかでその男が辿り着いた思想。それは子ども達宛の遺書や、没収されてしまいはしたが少しだけ仲間が垣間見た「平民の書」に書かれていた、資本主義でも社会主義でもない「第3の道」。あの状況になかで、すでに「第3の道」に辿り着いていたという、それは驚異的なことであろう。
 収容所での労働、生活、その他様々な活動、出来事を生々しく描くと同時に、極限の状況のなかでも、人間は知性的で、創造的で、逞しくあり得るという希望を描き出した。日本人における「夜と霧」である。


第6位 村上春樹「職業としての小説家」(スイッチ・パブリッシング)

「学校というものが僕は昔からわりに苦手でした」「勉強するという行為自体がもともとそんなに好きではなかったなかったし、実際あまり勉強しなかった。」
 それで何をしていたのか。「本を読むことは当時の僕にとって何より重要でした」「本について言えば僕は、なにしろ実にたくさんの種類の書物を、燃えさかる窯にスコップで放り込むみたいに、片端から貪り読んでいました」「もし本というものがなかったら、もしそれほどたくさんの本を読まなかったなら、僕の人生はおそらく今あるものよりもっと寒々しく、ぎすぎすしたものになっていたはずです」
 小説家 村上春樹を作ったのは読書だった、とてつもない読書量だったという話。


第7位 村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか?」(文藝春秋)

ラオスだけではなく、ボストンもフィンランドもアイスランドもトスカーナもギリシャの島々も、世界には何て素敵なところがあるんだろう。羨ましい豊かな時間・・・。でも、最後の熊本の旅も素敵なのである。村上春樹が行くところ、どこも素敵なのである。つまりそれは、素敵な場所が絶対的にあるのではなく、どこの場所にも素敵なものがあり、それを見つけることができる人と、そうではない人とがいるということだろう。ここではないどこかを探すのでなく、今ここにある素敵を見つけることができたほうがきっと楽しい人生に違いない、てなことを考えさせてくれる本であった。


第8位 日比善高「いま、大学で何が起こっているのか」(ひつじ書房)

 国は「国立大学に教員養成系、人文社会科学系の学部は不要で廃止するか他分野への転換に取り組むべき」といい、内閣府の産業競争力会議が「大学改革」を唱える。貧すれば鈍するとはまさにこのことで、ただでさえOECD諸国なのかでは極端に少ない高等教育・研究関連の予算をさらに減らしながら、成果を出せという。著者は言う「革新的イノベーションは、どこからやってくるか予想が付かないから、革新的なのである。逆に言えば予測可能な範囲内にある成果は、革新的とは言えない。だから限られた予算を有力な分野に振り向けるという戦略は、短期的には成功するかもしれないが、長期的には失敗する」。
 大学ついて、著者は「何かをしなければならないという強い責務がない状態は大事だ」とし、かつては「モラトリアム」の名の下に批判されたが、いまや「猶予期間」の大事さを思う、と書く。「学生にとって大学は「実」を結ばせる場ではなく、「種」を獲得する場である」。いちいちがもっともの話であった。


第9位 スヴァンテ・ペーポ「ネアンデルタール人は私たちと交配した」(文藝春秋)

 我々の中にネアンデルタール人のDNAが残っいる・・その事実については、まあだからどうした、というくらいの感想しかないのであるが、その事実を明らかにする過程がスリリングである。というか、真の科学者というのはここまで「科学」に対して誠実であることができるのだということに感動した。。
 掘り出された古代のDNAにはすでに現代の微生物や人のDNAが混入している。それらから目的のDNAだけを取り出し、増幅する。だが、目的のDNAだと思ったものがやはり混入した現代人のDNAだったりする。様々な設備や装置や仕組みを自ら開発し、2重3重のチェックを自らに課し、そしてたぶん科学ではもっとも重要なことの一つ「再現性」に徹底的に拘っていく。そうして、長い長い道のりを経て真実を明らかにするのである。
その間に、ライバルたちは数万年どころか恐竜のDNAまで解析したと、サイエンスやネイチャーなどの有名な雑誌に発表していく。しかしそれらはすべて、科学的には不誠実な態度で、再現性もなく、実際に間違っていた。メジャーな科学雑誌もまた、実は「科学」に忠実というよりも商業主義的なのである。正しい道を歩んているという自覚と自信があっても、それはそれは苦しいものだったに違いない(と、著者も言っている)。
 読んでいる間じゅう、STAP細胞を巡る「捏造の科学者」(文藝春秋)を思い出していた。小保方さんや笠井さんが、スヴァンテ・ペーポほどに「科学」に対して誠実に向き合い、つまり「再現性」に謙虚に向き合う勇気があったなら、そしてスヴァンテ・ペーポがすでに喝破していたように著名な科学雑誌が極めて商業主義的であることを理解していたなら、あの事件は起こらなかったに違いないと。


第10位 森達也「すべての戦争は自衛意識から始まる・・・「自分の国は血を流してでも守れ」と叫ぶ人に訊きたい」(ダイヤモンド社)

収められているすべての論考がISによる後藤さんらの殺害が起こる前に書かれている。したがって、ISに対する論考はない。しかし、この本からわかることは、あるいはこの本が思い出させてくれるのはISの行為が、僕らが知ることのできないような特別なものでは決してないということである。

 この本は思い出させてくれる。原爆による大虐殺があったこと。ホロコーストのこと。カンボジアでポル・ポト政権がやったこと。ルワンダで隣り合った住民が斧や鉈で殺しあったこと。今もまだスーダンで悲惨が続いていること。そして、かつて日本が東アジア、東南アジアで行ったことを。

 人間というのはこういうことをするものなんだ、というところから思考しよう、と言っているのだと思う。僕らもそうなりうるということ。そして、その流れはいつしか止められなくなってしまうこと。そういうことを繰り返してきた人類は、多分これからも繰り返すかもしれないということ。だから、今その流れがまだ小さいうちに止めてしまわなければ・・・・ということ。



1位は圧倒的で、2位以下については順位はテキトー。甲乙付けがたい、というやつ。

うーん、やっぱり今年のではない本が多い。積ん読していた本たちと、あとは・・・。今年話題の書「21世紀の資本」もまだ完読できていないって・・・・。さて、読み終わるのはいつになるか。

その他、今年読んでよかった本はこちら。→ http://booklog.jp/users/midnight1124



2015年11月15日日曜日

なんちゃってファーマー いまさら夏の終わりと、冬野菜の定植 



 今年の夏はまあまあの収穫だった。去年よりもずっとうまくいった。やっぱり、プランターよりも地植え、ということだろうか。
 
 ミニトマトは、今日数ヶ月ぶりにスーパーで買った。つまり、この夏は買わなくていいくらい獲れ続けた。唐辛子は上のように乾燥して1年分くらいのストックができた。キュウリもナスもそれなりに収穫できた。カボチャは・・・いまいち美味しくなかっけど、とりあえず大きなものを2個収穫できた。そして今日、ミニパプリカの最後の収穫。もう赤くならなくなったので、緑のまま収穫。今年の夏野菜はこれで終了・・・って、もう冬が目の前。



 先日、職場の方から高菜をいただいた。

 ちょっと干して、そして浅漬けに。
 こんな感じ。塩もみしているときから、高菜の美味しそうなにおいがしてくる。美味しく漬かりそうである。

 高菜を作ってみよう・・今から間に合う冬野菜を探しにホームセンターへ行くと高菜の苗を売っていた。間に合うかどうかはわからない。ブロッコリーとサンチェも合わせて買って、とりあえず定植してみた。もう冬がそこまで来ている。間に合うかどうか・・・・・


2015年8月23日日曜日

夏の終わり? と 実りのかぼちゃ なんちゃってファーマー

 暑かった夏が終わろうとしている。その暑かった夏の最中に収穫した大きなカボチャが、見事な食べごろになっていた。




 食べ頃がわからなかった。カボチャってすごく長持ちする、いつまでたっても食べられる、くらいのイメージがあるのだけど、さて、いつから食べることができるのか、ということに関してはイメージがなかった。なんとなくだけど、収穫してすぐじゃないよな、何日かそのまま「追熟」させるのじゃないかな、というイメージ。鳥取の実家で聞いてみたらなんのことはない、収穫したらすぐに食べられるって。

 
 左のが我が家の収穫したカボチャ。収穫してからもう2週間は経過している。そういうことだったので早速食べてみようと切ってみると・・・・。最初の写真の通り。見事な出来栄えでした。煮付けでいただきました。というか、9割り方冷凍保存中。

 そして、二つ目が育ち中。
 最初のは人工的に受粉させたのだけど、二つ目はもう放っておいた。それでもちゃんとミツバチが受粉させてくれたみたい。何しろ1株しかないから、雄花と雌花が同時に咲くという奇跡がないことにはどうにもならないわけで、今日は雄花だけ、今日も雄花、今日は雌花が咲いたのに雄花がない・・・・なんて日が続く。花は朝の数時間で終わってしまうので、自然の受粉って難しいのである。ミツバチもいなくっちゃならないし。

 いろんなことが今年はだいたいうまくいった。
7月26日の収穫。

 8月16日の収穫。ミニパプリカも取れ始めた。
 この間にも、そしてその後もナスとキュウリはボチボチ、ミニトマトは毎日十数個、日によっては20個以上の収穫。食べきれなくて、冷凍したり、おすそ分けしたり。

 どれもすごく、あるいはまあそこそこ美味しいのだけど、近所の皆さんからいただくナスやキュウリやトマトはもっと美味しい。まだまだ、精進せねば、という感じ。面白い。
 

2015年7月26日日曜日

心斎橋 スタンダードブックストアに行ってきた ハマるよ

 大阪に行ったついでに、梅田蔦谷書店を再訪。前回行った時よりも、ずっとよくなっていてびっくり。探していた本ガルシア・マルケス「ある遭難者の物語」(水声社)を見つける。82年に初版、92年に第2版が発行された、まあそれなりに古い本で、レジも本のデータを持っていないらしく登録に手間取っていた。こんな本がしっかりあるところは素晴らしい! こんな本を探している人が行く本屋なんだと思う。

 そして、今回は大阪でもう一つの話題の本屋さん。スタンダードブックストア心斎橋店。 
http://www.standardbookstore.com

 ずっと昔の、まだちゃんとした本屋さんだったヴィレッジバンガードの雰囲気を持つ、でもヴィレッジバンガードよりずっと広い素敵な本屋さんだった。「本屋ですがベストセラーは置いていません」とホームページのトップページに出すくらいに、既刊本で素晴らしく魅力的な棚を作っていた。当然、本のサイズ別になんか並べていない。
店の雰囲気は、こちらで。
https://www.google.co.jp/maps/@34.670672,135.499729,3a,75y,283.36h,84.07t/data=!3m7!1e1!3m5!1swNbLUe9ntuz-nwwwv7_E2w!2e0!3e2!7i13312!8i6656!6m1!1e1

 旅好きには、梅田蔦谷書店と同じくらいに楽しい本屋さんでした。

 ジュンク堂のようにとんでもなく広いスペースで展開できない以上、僕らのお店もジュンク堂の超小型版ではなく、つまりそれはなんでもあるようだけど実は何にもない、という本屋さんではなく、完全にセレクトされた本で棚を作ることを模索すべきだろう。ネットとの勝負も、それだったできると思うのだけど。

 スタンダードブックストア心斎橋はいこ心地のいいカフェも併設。もちろん、大部分の本は持込み可。じっとりと本を選ぶこともできる。





実りの夏 なんちゃってファーマー やとうむし対策に成功する

 今朝の収穫。



 ミニトマトが鈴なりに実りつつある。毎日、毎日過ごしずつ収穫して、今朝はこれだけ。当分買う必要はなさそう。

 前回、やとうむし にやられて困っていた茄子は、ネットで検索して対策を発見。キッチンの三角コーナー用のネットが有効らしいというので早速買ってきて取り付ける。

 

効果抜群で、以後やとうむしにやられる茄子はなくなって、すくすくと育っている。今日一つ収穫。

 今日1本だけ収穫できたきゅうり。実は先週の台風の風にやられて、葉がボロボロに。これじゃ光合成もできないってなくらいやられてしまった。やられた葉を取り除くと、すかすかに。グリーンカーテンにはもうならない。そして・・・収穫はボチボチ。ただ、これまですでに10本程度は収穫しており、そんなに食べきれるものでもない。

 で、こんな感じに。


 おつまみに。結構いけるのである。

2015年7月11日土曜日

やとうむしに盗まれる なんちゃってファーマー

 今日の収穫。キュウリは2本目。これは大量に収穫できそうな予感。すでにたわわに実りつつある。ミニトマトは毎日コンスタントに収穫。




 茄子は・・・・・・ネットで調べて分かった、やとうむし。夜盗虫と書くらしい。夜間に活動して、昼間はその姿を見ることができない。そして、成長した夜盗虫は薬にも強いらしい。対策は・・・・・見える範囲では物理的に取り除く、って見えないから問題なのに・・・・。

 夜盗虫にやられるとこうなる。穴が開く。


 ほぼ全滅状態。さて、どう対策しようか?

 そしてかぼちゃ。一つだけなんとかなりそうな感じで大きくなりつつある。さて、どう育つか。

 



2015年7月5日日曜日

初収穫 &  放任のなんちゃってファーマー

今年最初の収穫。茄子は昨年はさっぱりだったので、ちょっと嬉しいかも。焼き茄子にして早速いただくが、うーん・・・・。美味しくないことはないが、いまひとつ茄子の味が感じられず、なぜなのか?  基本的に「放任」ということに問題があるのかもしれない。

 基本的に「放任」にするとこうなる。

このトマトの向こう側には、パプリカ、唐辛子、茄子、そしてまたトマト。地面には日が差さない、そしてそれぞれの茎、葉が入り乱れている。さらに虫にやられた葉、卵をたくさん産み付けられた葉・・・そんなこんなで大変な状況になっているのである。

 それでも、育ちつつある。

 そして、手前にはかぼちゃ。花は咲くし、受粉もしているのだが、今のところ実になりそうもない。蔓だけはどんどん伸びて、こちらも収拾がつかなくなりつつあったので、バッサリと1本立ちに。さあ、今後どうなるか。


 近所の方にいただいたキュウリは順調だと思う。

 小さな実が育ちつつある。もうピクルスくらいにはなりそう。


 そして、毎年のゴーヤ。昨年の反省で1本だけにした。それでも十分なグリーンカーテンができそうな勢い。花も咲いた。あとは実りを待つのみ。


 それにしても植物ってすごい。ほんの2か月前はこんなに小さかったのに・・・

2015年5月30日土曜日

梅田蔦屋書店に行ってきた

 話題の梅田蔦屋書店へ。文庫や新書などといったサイズ別の棚はない。文学は著者別。文庫も単行本も一緒に並んている。歴史の棚は初めて見る分類。現代史は「1914」「1945」「1968」「911」「311」などの分類で括られている。なるほどね。

 「ワークスタイル」「ファッション」「美容」「旅行」「アート」「建築」「文学」の括りで世界が広がる。理学や工学、医学、法律などの専門書はない。場所柄か、いわゆるビジネス書はものすごく充実している。しかし、残念ながらいかんせん狭い。幾つかの分野の本を完全に排除するという潔さがあってもなお、狭い。1000坪を超えるというが、半分以上はスタバなどのカフェや文具、雑貨などの売り場になっており、本は少ない。おかげで厳選された・・・・とは言えるかもしれないが。

 それでも面白い。代官山蔦屋書店と同様に旅行・紀行書はそれなりのスペースがあって(とはいっても、点数的には代官山蔦屋書店の半分もないだろう)、週末は旅行代理店も営業するらしい。旅行パンフレットも、まるで雑誌の表紙のようで、お店の雰囲気に溶け込んでいる。
「中国」の棚に東洋文庫が何冊か入っているのは興味深いし、古典、名著と言われる文庫と新刊が一緒並んでいるのは新鮮で、若い読者には新しい発見がきっとあるだろうと思わせる。「香港マカオ」の棚に小説「波の音が消えるまで」が入っているのは、「深夜特急」のマカオのカジノでのあの興奮のシーンを知っている読者はきっと、なるほどなーと納得するのである。

 絶対的に本が少ない、というのは残念なんだけど、それでも楽しいし、ワクワクする本屋さんなのであった。

2015年5月16日土曜日

なんちゃってファーマー

 春である。怠惰な春である。このブログも随分とサボってしまった。それもこれもあまりにもカープが情けないから・・・・・と、カープのせいにしてしまう。

 昨年ランナーをとって育てた苗と、買ってきた苗。こんなイチゴなったのはどっち?
正解は買ってきた苗。やっぱりそんなものか・・・。ランナーから育てたイチゴも実をつけ始めたんだけどなんだかカビにやられているようで・・。難しい。

 ゴーヤも昨夏、種をとって保存しておいた。今年は種から・・・とチャレンジしてみたけど芽は出ず。いやはやなかなか難しいものである。仕方ないので、今日苗を買ってきて、プランターに移植。昨年の反省と、アドバイスをいただいてことしは1株だけで勝負。素敵なグリーンカーテン&果実の収穫、となればいいが。



 猫の額の畑にはトマトとナスと唐辛子とパプリカとかぼちゃ。随分と欲張ってしまった。そして・・・・・・




 トマトと唐辛子うまくいっていると思うけど、うーんなかなか難しい。

 パプリカは葉っぱがなくなりつつある。ちょっと悲惨。

 さて、これから先どうなることやら。

 おまけ。これはすごい。でも、このバセリは僕の仕事ではない。

2015年3月19日木曜日

本を処分する100の方法 「本の雑誌」2015年3月号

 「本の雑誌」2015年3月号は特集=本を処分する100の方法!

まあ結局、捨てるか、売るか、あげるか・・・しかないわけで、何れにしても愛着のある本を手放さなければならないことにみんなそれぞれ悩んでいるのである。

 僕もそろそろ人生の終盤にかかってきて、ある日ぽっくり逝ってしまったりなんかしたら迷惑をかけることになるんだろうなーと思いながら、蔵書の整理=処分を一昨年あたりからボチボチと始めたのたけど、これが遅々として進まない。とりあえずの目標は、本は本棚に収まるだけにしようということで、床に積んでいる本から処分を開始したのだが・・・・。
 
 ただ捨てるのはどうしても忍びなく、すでに古書でも入手し難くなっている本についてはamazonマーケトットプレイスに出品。ボチボチと新しい読者に迎えられている。マーケットプレイスにたくさん出品されているような本は、チャリ本https://www.charibon.jp/flow/ を通じて認定NPO法人に寄付。そんなこんなで約330冊を処分したけど、まだ床には200冊くらいある。ISBNのない本は寄付も受け付けてくれないし、さて困ったなーという感じ。

 そして重要なのはもうこれ以上増やさないこと。Kindleに助けられている。Kindleで入手できるものはKindleで。おかげで紙の本を買うことは随分少なくなった。感覚的には以前の1/3くらいだろうか? Kindleがなければ新たに100冊が床に積まれるところだった。やれやれ。

2015年2月8日日曜日

今年もまた 確定申告をやってみた

 なんだかもやもや感の晴れない毎日。シリアかまたはイラクかで後藤さんらが殺害されてから1週間あまり、たくさん考えなければならないことがあって、いろんな人の書いたもの、発言に出来るだけ接するようにしがら考えているけど・・・・・まったくすっきりしない。僕らはいま何をすること、あるいはしないことが、必要なのか。

 結構不本意に使われている税金があると思うなら、認定NPO法人などに寄付をして、確定申告してほんの少しばかりだけど税金の還付を受ける、というのは意思表示の仕方としては真っ当なやり方かもしれない。何てことを日頃から考えているわけではないけど、こんな時期だから、ちょっと考えてみた。

 国税のホームページ https://www.nta.go.jp/tetsuzuki/shinkoku/shotoku/kakutei.htm にアクセスして必要事項を入力してくだけ。去年初めてやったので、今年は楽チン。認定NPO法人と公益社団法人から送付されている領収書を見ながら入力。入力そのものは10分程度で完了。印刷して、封筒に入れて投函するだけ。税務署の宛名だって印刷される。

 これで約1ヶ月後には指定した銀行に振り込まれるはず。やれやれ。

2015年1月18日日曜日

遅かった? ブロッコリー収穫

 9月末にプランターと猫の額のような畑に植えたブロッコリー。ホームセンターで苗を売っていたのだから遅すぎたということはないと思うけど・・・。11月までは順調に育っていたと思う。でもその後は・・・・。なんだかあまり大きくもならず、年末からは時々雪で覆われてしまったこともあり、すっかり元気ではなくなってしまった。

そこで収穫。



いろいろ調べてみると20cm位になったら収穫とあるけど、10cmにも満たない。少し残念な結果に。でも、味はまずまず。美味しかった。