今日、営業中になんと停電! 春の嵐のせいでしょうか。 しばらくして回復したかと思ったら、またすぐに停電。その後すぐに回復したのですが、本当のところ原因はなんだったんだろう?
中東の戦争が長引けば、停電が日常になるかもしれません。中東からの石油や天然ガスがいつ輸入できるようになるのか見通せない中、補助金を入れて需要を喚起するなんてよくわかりません。ウクライナ戦争で原油価格が高騰した時にも、補助金をジャブジャブ注ぎ込見ました。確かに生活者にとっては厳しい状況で支援が必要だったと思いますが、それはガソリンや電気代に補助金を注ぎ込むのではなく、困窮者に直接的に現金支給して支えるべきだったんだと思います。
かつてのオイルショックの時には、街からネオンが消え、テレビの深夜放送がなくなり、企業、家庭は徹底的な節電に努めました。そしてイノベーションが進み、アメリカなどと比べるとかなりの省エネ社会になりました。
ヨーロッパはウクライナ戦争の原油高騰に対して、脱石油を大胆に進めています。本来でしたら、日本もそう進むべきだったと思います。再エネを大胆に進めるべきだったのです。さらなる省エネ社会の創造に舵を切るべきだったのです。そう思います。2回もチャンスを逃してしまいました。
人類は愚かだ、という本。
SF寓話。
人類は全体として理性的、合理的であり得るのか、の物語。数百年、数千年に渡る計画を人類は計画的に成し遂げることができるのか、というのは現在の地球温暖化問題、資本主義的貧困問題、シンギュラリティ等々に人類は勝利できるのか、という問題の比喩である。「三体」でも、この短編集でも、人類は人類として長い長い計画に取り組むが、「三体」「流浪地球」では敗北し、「ミクロ紀元」「貪食者」「呪い5.0」でも現生人類は敗北する。
一方、太陽と地球、人間の物語。「三体」もそうだったのかもしれない。太陽と地球の絶妙な関係性、太陽の大きさ、エネルギー、地球との距離・・・・。「三体」そして、この短編集は全て「太陽をめぐる物語」とも言えるだろう。それは、地球文明が限りない偶然の産物であることを讃える讃歌とも言える。
「流浪地球」
400年後に太陽はヘリウム・フラッシュと呼ばれる大爆発を起こす。地球はその爆発によって蒸発してしまうことがわかった。人類は、地球に巨大なエンジンを取り付けて、地球ごと別の恒星の元への移住を計画し、実行する。地球が太陽系を脱出するのに必要な速度に達した時、「反乱」が起こる。「地球は騙されました! 人類は騙されました! 太陽は昔の太陽のままです。太陽は爆発などしません。彼らがすべてを捏造したのです!」。そして、地球政府の高官はこう言って降参し、そして処刑される。「いつまでも理性を保ちつづけることなど贅沢な望みだ」。「理性」が処刑された瞬間、ヘリウム・フラッシュが起こり・・・・。人類は全滅はしなかった。流浪を続ける。
これは、「「地球温暖化」はフェイクだ」をめぐる、たぶん「予言」である。
「ミクロ紀元」
太陽がまもなく短期間のスーパーフレアを起こし、それによっておよそ5%の質量が失われることがわかったのが、今から二万五千年前だった。地球は焼き尽くされ、そして次に平均気温零下百十度くらいまで寒冷化することがわかった。200年後人類は〈先駆者〉を宇宙に送り出した、移住できる惑星を探すために。しかし、その成果は「人類は孤独である」というのがわかっただけだった。地球時間で一万七千年後、地球からのメッセージが途絶えた。そして二万五千年後、〈先駆者〉は地球に帰還した。そこで見たものは・・・・。遺伝子操作して体積を十億分の一にしたミクロ人間だった。人類は生き延びていた。今や総人口は百八十億人。ミクロ人類の最高執務官はこう言った。「太陽スーパーフレアがなかったとしても、マクロ紀元は滅亡したわね。私たちの何億倍も資源を消費しないといけないんだから!」。
これは、全人類が先進国の人間と同じ生活水準で生活するには、すでに地球一個分では足りなくなってしまっている、ということへの指摘である。
「呑食者」
地球を丸ごと飲み込んで滅亡させる「呑食者」は、人類よりも一億六千万年前に栄えた恐竜の子孫だった。蟻の物語、幸せな家畜の物語・・・。「(貪食帝国に移住した人類は)青い空の下、一面に広がる美しい草原で・・・楽しそうに歌い、踊っている」「彼らには安楽な生活が保障されている。飼育に求められる最低限の条件だからな。そうでなければ肉質が落ちる。地球人は高級食材で、呑食帝国の上流階級だけが食べられる。」。呑食者は人類に向かってこう言う、「もう二度とモラルを語るな」
今地球上で人類に次いで「成功」しているのは、鶏、牛、豚、羊、犬、猫だとも言われる。「良心的」「進歩的」人類はそれらの飼育環境の劣悪さに心が痛み、その改善に力を尽くす。捕食者のいない広々とした放牧地で新鮮で美味しい食料を与えられた牛は、高級な食肉となり人類の食料となる。彼らは「生」を全うした、ことになるんだろうか? 人類至上主義のモラルってなんだ、と言う告発。
「呪い5.0」
数十年前にプログラミングされたコンピュータウィルス「呪い1.0」はたった一人のそんな大げさではない「悪意」か、あるいは単なる「悪戯」で、社会にほとんど顧みられることなく「潜伏」する。偶然の連鎖と、最後は酔っ払いの戯言=やはりそれもある意味「偶然」にすぎないのだけど、コンピュータウィルスに決定的に役割を与える。指示された命令は全市民の殺害。コンピュータに接続された地下鉄、自動車、ガス、食料、薬・・・・全てが殺人マシンに豹変する。
間違いなくもうすぐ訪れる、すべてのものがコンピュータネットワークに接続された社会。そこに潜むリスクを鮮やかにあぶり出す。現在でも、自動運転車が「乗っ取りれたら」・・・のは話はある。もうすでに、ネットワークのどこかで蠢めいている「悪意」が絶対ないと、誰が言い切れるのだろうか?
「中国太陽」
資本主義になった中国が中国太陽をつくて、資本主義以前の中国が破壊した生態系を回復させる。これは、資本主義になりきれない現代中国への批判か。宇宙への進出、植民が資本主義的は成り立たない現在、それを目指し始めた中国は資本主義を超えた、との礼賛か。
「山」
「「そこに山があるなら、誰かが必ず登ってくる」そのとおり。登山とは、知的生命の本能だ。(中略) その欲求は、生存に必要なものではない」。地球人と異星人との会話とそこで語られるコア人の歴史は、知的好奇心は人間の本質であり、止めることのできない営為であることを主張する。「山」は「未知」である。コア人の岩盤探索はまるで大航海時代の、あるいは月探索競争時代の人類の歴史。
「生きる」よりも「登る」を選択するのが人類。生き延びるのは、人類ではなく個人。「もしいま、なにかを裏切ることで自分の命を救えるのであれば、フォン(馬に冫)は躊躇なく裏切るだろう」。技術や知識を制御することは結局できないのだ、という予言。結局、核は使われるし、人類の遺伝子は操作されるし、シンギュラリティは訪れてしまう、という予言。
これらの短編を通して、著者は人類の行く末を暗示する。本能である知的好奇心を止めることはできず、それは地球の破滅まで行かざるを得ない。「生きる」未来は「暗い」が彼の人類感だろうか?(2022年9月 記)

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