10月13日の「おかやま表町ブックストリート」の一箱古本市の準備がほぼ完了しました。しっかりと選書して、こんな感じになりました。
紀行、探検、遭難、本、書店をテーマに選書してみました。
「深夜特急 第1便」は珍しくもない本ですが、というよりすでに紀行本の古典と言ってもいいくらいの本になっていますが、このテーマで選書する場合には僕的には外せない本です。僕がBooks tabito 蔵 を始めた遠因はここにあります。バックパッカーとしてヨーロッパ、インドを旅した後にこの本に出会いました。面白くて、面白くて、そしてまたこんな旅をしてみたいと強く思いました。沢木のような長い旅はできませんでしたが、その後にもタイ、カンボジア、トルコ、香港、マカオ、再びのヨーロッパなどいくつかのバックパック旅を楽しみました。そして多くの紀行本とも出会うことになりました。
僕はインドでムチに打たれたことがある。別にそんな趣味があるわけではない。1989年8月15日、インドの独立記念日、ベナレスでの出来事である。その日の朝早く、イスラム教徒が派出所を襲い、つまり暴動が起こり、市内全域に戒厳令(外出禁止令)が敷かれた。僕が宿泊していた宿の主人によると30年間その町に暮らして、初めてのことだそうだ。沢木耕太郎と違い、終わりのはっきりした旅行をしていた僕は、その日どうしてもデリーに行かなければならず、無謀にも戒厳令の町へ出て行った。外国人に無茶なことをするはずはないだろうと、ちょっとした冒険でもするつもりで出て行ったわけだが、町の雰囲気はそんな好奇心は簡単に吹っ飛ばすくらいピンと張り詰めていた。それでも、道の真ん中を堂々と歩いていれば、怪しいものとも思われないだろうと思い、実際にそうしていたわけであるが、突然前方よりジープに乗った警官が現れ、なんの警告もなく、また一切の弁明も許さず、いきなりムチを振るわれたのだった。
僕のインド旅行はたった10日間であった。沢木耕太郎のユーラシア横断の旅は、約1年である。こんな面白い(無事に帰ってきているから言えるのであるが)経験を彼は36倍もしているのだ。パキスタンのペシャワールではいきなり警官に警防で殴られ、連行されようとする。なんとテロリストと勘違いされたのだった。アフガニスタンのカブールでは、ひょんな事から、宿泊している宿の客引きをやらされてしまう。
沢木耕太郎はこの本の中でも触れているが、この旅を始めるきっかけに、もちろん直接のきっかけではなくもっと深層にあるものとして、中学生の時読んだ小田実の「何でも見てやろう」があると言う。この本によってもたらされた興奮が、ただ一人で長い期間旅行する自分をつくったと記してある。しかし、サブタイトルにある「世界一周一日一ドル旅行」についての具体的な方法がなかったことに軽い失望も覚えている。従ってこの本は極めて具体的である。カルカッタのドミトリー(簡易宿)は6ルピー(約200円)だし、チャイ(インドのミルクティ)は20パイサ(7円)である。パリではたまたま出会った日本人に5フラン(300円)でアパートの部屋を又貸ししてもらう。沢木耕太郎が旅したのは74年なので、確かに現在の物価とは多少違うが(僕の泊ったニューデリーのドミトリーは15ルピー、約150円だった)、これから旅する人には大いに参考になるだろう。そして、勇気づけられるに違いない。旅はお金で買うものではないのだということに。しかし彼はいつもお金の心配をしているのだ。今日は使いすぎたと言っては懐の心配をしている。ちょっとした贅沢にも、自分に言い訳しながら、また1ルピーまけさせるのに数十分を費やしたりする。
その一方で、マカオでは「大小」という賭博に熱中し、1900ドルしか持たずに旅を始めたにも拘わらず1200ドルもつぎ込んでしまうような無茶もやっている。結局200ドルの負けまでに挽回したのだが(そうでなければ彼の旅はおそらくマカオで終わっているし、この本も出版されていない)、これに懲りずにこの200ドルを今度はモナコで取り返そうとまたまたカジノへ出かけたりしているのである。結局モナコでは、ジャケットを着ていないばかりに門前払いされてしまうのだが。このアンバランスがまた、何よりも魅力的である。予定調和に満たされたこの社会では、ギャンブルですらも予定調和であるのに対し、彼の旅は、大航海時代の航海のように何も予定されていない。因みに僕はこの本で、マカオでの賭博の微に入り細をうがつ描写が今まで読んだどのサスペンスよりもスリリングでとっても気に入っている。
沢木耕太郎の旅は、何かを求める旅ではない。名所旧跡を訪れる旅行とも違う。実際に彼は積極的にはそんなものは何も見ていないし、ただ一つ感動しているのはサン・ピエトロ寺院のミケランジェロのピエタだけである。しかし、だからこそ彼は身の丈でそれぞれの町や村の人々と向き合っている。一切のガイドブックを持たない旅だからこそ、何の予備知識も偏見もなく町に溶け込んでいけるのだろう。何かを買うために値切る、そのときの商人とのやりとり、バザールの興奮、宿のいかがわしさ、そんな彼の体験した何もかもが、マス・メディアで流布されている世界とは対極の、世界中のひとり一人の人間が僕らと同じ大地に根を下ろして生活している様を描く。そう、マス・メディアによって作られた世界が一枚ののっぺりした世界地図なら、沢木耕太郎はその地図をずっと何倍も何倍も拡大して、世界を構成している分子レベルで僕らに見せてくれる。ブラウン運動しているかのように、生き生きと生活している人々を描く。
第一便、第二便が出版されてから6年、ようやく第三便が刊行された。著者はそのあとがきで「この六年が、この『第三便』には必要だったのだという気さえする」と書いているが、確かに彼はこの6年の間に、深夜特急の旅を客観化し、そして心の旅を始めている。一便、二便はまるで熱病にでも罹ったように、旅の興奮がその行間からビンビンに伝わってくるが、第三便での彼は極めて冷静である。先人たちと同じように、旅を人生に重ね合わせてみたりしている。終わりのはっきりしていない旅、終着点を自分で探さなければならない旅というのは確かに人生と似ているのかもしれない。大学を卒業してからの人生というのは、それまでの例えば高校や大学というのがある意味で終わりがはっきりしているのに比べ、その質は著しく異なっている。ジャルパックの旅行とは本質的に異なる旅だからこそ、彼は悩むし、精一杯考える。僕は彼の旅を通して、とくに第三便では、自分の人生というのを考えずにはいられなかった。
しかしまあそんなことはどうでもいい。僕はヨーロッパやインドを旅行した後にこの本に巡り合ったわけだが、僕と同じ都市で、彼がなにを見てどう感じたか、そのことが知れておもしろかった。まだ行っていない、香港やマカオ、アフガニスタンやトルコには必ず行ってやろうと思った。何しろ彼が出会った人々は楽しく、おもしろく、いかがわしく、たまらなく魅力的だから、僕も彼らに会いたくなったのだ。人生をかけた(?)賭博もやってみたい。(1992年12月)


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