「失望」はしない。もともと「希望」も「要望」も現政権にはないので、「失」望しようはないのだけど、それでも「がっかり」である。
何となく時代の嫌な空気を感じて、いま半藤一利「昭和史」(平凡社ライブラリー)を読んでいるけど、昭和初期の日中戦争から太平洋戦争に進んでいく過程で軍や政権が誤った判断を続けていく過程と、現在の政権が行っていることがダブってくる。どちらも、情報を正しく解釈しなかったり、情報が全く不足しているなかでの独善と希望的観測による誤った判断である。特定秘密保護法、武器輸出三原則の見直し、積極的平和主義という名の集団的自衛権行使や軍事力の増強、そして靖国参拝。このところマスコミを賑わしているのは、そんな話題ばかり。紙面だけ見るとまるで戦争前夜である。嫌な気分である。
世界で活躍している日本人は一気に肩身が狭くなっただろう。世界に出て行こうとする若者は、「日本人」であることを否定することから関係をつくっていかなければならないくらいに追い込まれていくのではないか。こうしてますます内に籠ってくる。不幸なことだ。
先の大戦からの教訓で、とりあえずいま僕が出来ることは、それらには賛成しない、と表明しておくことかな。後から、「反対しなかったじゃないか」と言われるのはしゃくだから。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
素敵な文章だと思う。
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