なんだかあっという間に師走。時間が経つのが早すぎる。
情報はあっという間に消費されて、だからもう1週間もたとうとしている60年前に病院で取り違えられた男性のこともほとんど忘れかけられている。
これは、取り違えられた男性の不幸な物語でもあるけど、社会学、あるいは教育学的には非常に興味深い・・・当事者の方々には「興味深い」とは非常に失礼な言い方で申し訳ないんだけど、適当なちょうどいい言葉を知らないので、ご了解いただきたい(この表現もおかしいな。何しろ当事者はこの文章を読むことはないのだから、了承しようがない)。
この男性は、たまたま取り違えられた家庭が生活保護を受けるような貧しい家庭だった。本当の家庭は結構豊かだったらしい。そして、本当の家庭の実弟たちと件の男性と取り違えられたもう一方の当事者はいずれも私立高校から大学へ進学し、一流と言われる企業へ就職したという。一方、件の男性は、貧しい環境であり中学を卒業した後就職し、しかも職を転々とし苦労したらしい。
つまり、50年前にも既に教育の機会均等なんて幻想でしかなかったということ。貧しい家庭に生まれただけで、そのことはとうの子どもにはどうしようもないことで、でも教育をうける機会を奪われてしまったという事実。高等教育にアクセスできないということの〈不幸〉は、その後の人生をも大きく規定してしまうということ。
教育の機会均等なんて建前や、あるいは幻想だと「わかっていた」ことなんだけど、こんな形で目の前に突きつけられると、動揺する。
50年経った今も、教育の機会均等という権利は、貧しい家庭に生を授かった子どもたちには失われたままである。というか、国立大学の授業料の高騰等は、それと逆行するものだなーと思うのである。
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
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