2013年12月29日日曜日

失望」はしない。もともと「希望」も「要望」もないので。

 「失望」はしない。もともと「希望」も「要望」も現政権にはないので、「失」望しようはないのだけど、それでも「がっかり」である。

 何となく時代の嫌な空気を感じて、いま半藤一利「昭和史」(平凡社ライブラリー)を読んでいるけど、昭和初期の日中戦争から太平洋戦争に進んでいく過程で軍や政権が誤った判断を続けていく過程と、現在の政権が行っていることがダブってくる。どちらも、情報を正しく解釈しなかったり、情報が全く不足しているなかでの独善と希望的観測による誤った判断である。特定秘密保護法、武器輸出三原則の見直し、積極的平和主義という名の集団的自衛権行使や軍事力の増強、そして靖国参拝。このところマスコミを賑わしているのは、そんな話題ばかり。紙面だけ見るとまるで戦争前夜である。嫌な気分である。

 世界で活躍している日本人は一気に肩身が狭くなっただろう。世界に出て行こうとする若者は、「日本人」であることを否定することから関係をつくっていかなければならないくらいに追い込まれていくのではないか。こうしてますます内に籠ってくる。不幸なことだ。

 先の大戦からの教訓で、とりあえずいま僕が出来ることは、それらには賛成しない、と表明しておくことかな。後から、「反対しなかったじゃないか」と言われるのはしゃくだから。

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
素敵な文章だと思う。

 

2013年12月15日日曜日

町から本屋が消えてゆく!?

  「本の雑誌」12月号の特集は「町から本屋が消えてゆく!?」(12月号を今頃読むというのもどうか・・と思うけど。遅すぎる。)。

 この15年で約8000店、全国で約35%の本屋さんがなくなっている。僕の今住んでいる町にはそこそこ本屋さんはあるけど、僕が生まれ育った町では、目抜き通り、街中にはすっかり本屋さんはなくなってしまった。ショッピングモールの中に、チェーンの本屋さんがあるだけである。僕が住んでいた頃には、それぞれ特徴のある本屋さんが商店街やバスターミナルにいくつもあって高校生の頃までは休日毎に書店巡りをしていた。でも、今ではそれらの本屋さんは一軒も残っていない。


 「町から本屋さんが消えてゆく」要因は、たくさんある。今業界で起こっていることすべてが、あるいは過去にやろうとして出来なかったことすべてが、その要因と言っていいだろう。ネット書店、巨大なチェーン店、コンビニ、公共図書館の充実、届かない客注本・・・・・町の本屋というフォーマットは淘汰されるしかないのだろうと思う。善し悪しではなくそういうものであると思う。

 しかし、なのである。それでも、出版社の経営者や社員が「町から本屋が消えてゆく」ことを嘆いたり、残念がったり、そんな文章を、特に業界紙なんかでは時々目にすると、それは少し違うんじゃないか、と思うのである。僕は、町から本屋さんが消えてゆく要因をつくった、というか加速させた多くの部分は実は出版社ではないかと思う。それと、巨大な取次か。何しろ中小の書店が注文した本は届かないのである。新刊も、注文品も・・・。少し近くの大きな書店には並んでいても、ベストセラーは中小の本屋には来ないのである。店売の売上げに占める新刊の割合は一般的に半分以上であろう。中小の書店ではもっとあるかもしれない。その商品が手に入らないのである。どう勝負しろ・・・と。そして、お客様からの注文を出版社に手配しても、届くのに早くても3日程度、遅い場合は2週間もかかる・・・。これでも随分改善されたのだけど、その程度なのである。この部分でも勝負しようがない。それらのことを棚に上げてきたのは、出版社、特に大手の出版社と取次である(そして、なくなってゆく本屋さんそのものも実は棚上げしてきた)。でもそのことを自ら問わずに、町の本屋が消えてゆく・・・・ことを嘆いては欲しくない、と思うのである。町の本屋はなくなってもいいのだ、(出版社にとって)効率が悪すぎる・・・・と言ってくれればいい。たぶんそれが本音だし、そして残念ながらそれは事実である。本の雑誌社のことを言っているのではない。本の雑誌社は、それまでの社の歩みを振り返れば、大いに嘆いてくれていい。

 検定教科書や、学参、学校への教材の販売等があるおかげで続けられている本屋さんも多い。数年で電子教科書が主流になって、その時はこれらの本屋さんがなくなることになる。これも仕方ない。国や公共団体の財政が破綻していく過程で、公共図書館への納品も町の本屋さんから取り上げられることになるだろう。再販商品だけど、図書館は定価では買ってくれない。違法じゃないけど、これでは大資本の書店に町の本屋さんは太刀打ちできない。そして、町の本屋さんは消えてゆく。

 僕自身、町の本屋さんが消えてゆくのに加担している・・・・?  電子版が出ていれば紙の本ではなく電子版を買うようになったし、場合によっては、電子化されるまで待とうなんて思うことすらある。これまで、文庫化されるまで待とう・・なんてことは思ったこともなかったのに。なにしろ、文字が拡大できるので電子版の方が圧倒的に読みやすいのである。高齢者はどんどん電子版へ向かうだろう。一時は十数誌の紙の雑誌を定期購読していたのに、現在では紙の雑誌は2誌だけである。でも、電子版では十数誌目を通している。そんな感じになってしまった。

 という状況で、さて自分たちの本屋さんをどうしよう・・・・。

 

 

2013年12月5日木曜日

なんだか嫌だなー と思う。

 いまさらというか、ようやくというか、特定秘密保護法4党修正案の全文を読む。法律の文章は面倒で、過去のすべての法律と整合性をとるためにはこんなことになるのだと、そして、なるほどこれを書くというのは、特殊な技能なんだということがわかる。


 論点は出尽くしているんだと思うけど、たとえば「テロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。」という定義はまずいだろうと素人としても思う。先日の石破幹事長のブログへの書き込み、この定義なら確かにデモだって「テロ」と言えるかもしれない。謝ったふりしているけど、実際には謝っていないし、先走ったというだけだろう。


 たぶん強行採決されるんだろう。そしてこの法律が施行される。その時に唯一の抑止力になり得るのは、「政権交代したら現政権が秘密指定した情報はすべて公開する」、そして「法律は廃止する」と現在の野党が表明することだろう。現与党と官僚組織に対してはそれだけが抑止力になる。ただ、そんな胆力がある野党があるかどうか甚だ疑問ではあるし、3年後の総選挙までの間に、もしそんな勢力があったとしても、この法律で持って壊滅させられている・・・。まさかそんなに性急なことはないだろう、というのは楽観的すぎるだろうか。

2013年12月1日日曜日

下克上もジャパニーズ・ドリームも幻想・・・・・?

 なんだかあっという間に師走。時間が経つのが早すぎる。


 情報はあっという間に消費されて、だからもう1週間もたとうとしている60年前に病院で取り違えられた男性のこともほとんど忘れかけられている。

 これは、取り違えられた男性の不幸な物語でもあるけど、社会学、あるいは教育学的には非常に興味深い・・・当事者の方々には「興味深い」とは非常に失礼な言い方で申し訳ないんだけど、適当なちょうどいい言葉を知らないので、ご了解いただきたい(この表現もおかしいな。何しろ当事者はこの文章を読むことはないのだから、了承しようがない)。

 この男性は、たまたま取り違えられた家庭が生活保護を受けるような貧しい家庭だった。本当の家庭は結構豊かだったらしい。そして、本当の家庭の実弟たちと件の男性と取り違えられたもう一方の当事者はいずれも私立高校から大学へ進学し、一流と言われる企業へ就職したという。一方、件の男性は、貧しい環境であり中学を卒業した後就職し、しかも職を転々とし苦労したらしい。

 つまり、50年前にも既に教育の機会均等なんて幻想でしかなかったということ。貧しい家庭に生まれただけで、そのことはとうの子どもにはどうしようもないことで、でも教育をうける機会を奪われてしまったという事実。高等教育にアクセスできないということの〈不幸〉は、その後の人生をも大きく規定してしまうということ。

 教育の機会均等なんて建前や、あるいは幻想だと「わかっていた」ことなんだけど、こんな形で目の前に突きつけられると、動揺する。

 50年経った今も、教育の機会均等という権利は、貧しい家庭に生を授かった子どもたちには失われたままである。というか、国立大学の授業料の高騰等は、それと逆行するものだなーと思うのである。

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。