大学にいる僕らは、「大学の使命とは、世界哲学や世界人文学、様々なリベラルアーツ的な知を通じて自由な地球市民を育てていくこと」(吉見俊哉「大学は何処へ」岩波新書) にもっともっと取り組むことなんだろう。地球市民は戦争はしない。地球上には敵はいないのだから。
ルトガー・ブレグマン「希望の歴史」(文藝春秋)は「ほとんどの人は、本質時にかなり善良だ」ということをたくさんの実例を用いて証明していく。ただし、「致命的な欠陥がある。それは、自分によく似ている人々に、より強い近親感を抱くことだ」。そして「見知らぬ人に対する嫌悪を強める」。
これこそが、僕らが英語講座を実施し、学生たちに海外体験させる動機である。世界中に知っている人がいる地球市民は、戦争しない。カオル先生は常々言っている、「世界平和のためにやってる」んだって。
ウクライナで戦争が始まった。「個人」が蹂躙されていく。
人類は長い長い悲惨な歴史、経験を通じて、いくつかの重要な決まりを更新しながら秩序を作ってきた。それは個人の権利、幸福が保障されるようになる長い旅路だった。
第2次世界大戦後には戦勝国とされる国々が主導して国際連合と大戦後の新しい秩序を作り、2度とあのような惨禍を起こすことがないように地球上の人々がたくさんの知恵を出し、妥協し、今の時代を作ってきた。多くの国や民族が植民地から解放され、一方でベトナムやアフガニスタンなどの悲惨を再び繰り返し、そして冷戦が終わる。ソビエトが崩壊してもなお核保有国であるロシアは安保理常任理事国として秩序を作る、ルールを作る側にいた。世界の多くは、いくつかの不満を抱えながらも、そして大国の力を背景にしたいくつかの振る舞いには少しの、あるいは多くの嫌悪感を抱きながらも、それでもいくらかましになったルールに則りそれなりに安心して過ごしてきた。人類史上最も個人の権利が保障された時代である。もちろん、そうでない地域もあるけれど、ハンス・ロスリング「FACT FULNESS」(日経BP社)によると全体としては良くなり続けているのだった。人類が10万年以上かけてたどり着いた地平である。
核を持つ大国が、自ら主導してきたルールを捨て、「ロシアは世界で最も強力な核保有国の一つだ」と威嚇しながら他国に侵攻するという事態に人類はどう対抗できるのだろうか。いま、僕は何ができるんだろう、何をしなければならないんだろう。考えなきゃ。
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