さて2021年も新型コロナウイルスにるパンデミックは継続し、前年に引き続き外出することそのものが憚れるような毎日だった。旅に出ることは叶わず、本を読むことくらいしか・・・。いつものように2021年に読んだ本から私的ベスト10を。
今年の1位はついに完結したこの本。毎年1位でもよかったんだけど。合わせ技でダントツの第1位。1巻目が出てから3年・・? 次が出るのが待ち遠しくて待ち遠しくて。
第1位 劉 慈欣「三体」早川書房
宇宙社会学の公理
1. 生存は、文明の第一欲求である。
2. 文明は絶えず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量は常に一定である。
解説によると、「フェルミのパラドックス」の一つの回答だそうである。地球外文明が存在する可能性は高いのに、我々はそれが存在する証拠を全く見つけてこなかった。
そして、
太陽系人類は結局、黒暗森林から逃れられず滅亡する。光速飛行を実現した二人は、時空を超えて数億年後の宇宙へ。
物理法則が武器として使用される。次元空間や光速がいちばんよく使われる。「物理法則だけじゃなくて、何を武器にするっていうの?」「・・・・数学基礎論」「それって・・・・狂ってる!」
最高のエンターテイメント。
この本の問いかけるところは悩ましい。「SDGsは大衆のアヘン」と言い切ってしまう。可能性は協同組合にある?
第2位 斎藤 幸平 「人新世の「資本論」」集英社新書
気候変動危機を救うのは、後期マルクスの「脱成長コミュニズム」。現在進んでいるマルクスの新しい資料の世界的な編纂から、新しいマルクス像が浮かび上がり、それはまさに現在の危機、資本主義の危機に対応するものだった、というのが著者の主張。「SDGsは大衆のアヘン」として、つまり気候変動危機を決して救うものではなく、アリバイ作りようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない、という。
そして、気候変動危機を救うのは「脱成長」「コモンの復活」であり、世界ですでに起こっているコモン復活の運動を紹介する。
今後は、ますます世代間の闘争・・・になっていくのかな? そして、一人ひとりがどういう立場に立つのかが、問われる。でも、言動はアンビバレンツにものになりそうな感じ。
2021年はなぜか、徒歩旅行に惹かれた。こんな時期だから、人との関係性の中でゆっくりとゆっくりと旅する姿に惹かれるのだろうか? それにしても、どの本でも地球人は基本的にとても優しくて親切である。
第3位 ベルナール・オリヴィエ「サマルカンドへ」 藤原書店
イスタンブールから西安まで、シルクロードを一人歩く旅の第2巻。トルコの東から、イラン、トルクメニスタン、そしてウズベキスタンのサマルカンドまで。60過ぎの男の2000年の旅。サマルカンドの響き、旅人、バックパッカーを惹きつけてやまない、魅力的な地、タイトルに惹かれて買ってしまったのはもうずいぶん前のこと。
著者もまた一般の欧米人と同様にイランには「恐れ」を抱いて入国する。しかし、イランの人々の魅力的で、信じられないくらいの優しさに触れながら、イランの魅力を発見していく。歩くスピードで発見していく。日本人には、イランの人々の優しさ、旅のしやすさは知れ渡っているところだが、フランス人の著者には驚きの連続だったんだろう。したがって、イランの旅は、とても詳細に魅力的に綴られていく。もちろん、いいこと、楽しいことばかりではないけど。
一方、トルクメニスタンとウズベキスタンの旅はあっさりとしている。警察国家の官憲の酷さが際立つ。多分面白くなかったのだろう。今はどうなっているんだろう? ただ、今回の旅の目的地、サマルカンドのバサールは、それはそれは、魅力的なのである。まるで、沢木耕太郎の「深夜特急」の香港の屋台街のように。
行ってみたい・・・・
これは、凍った川の上を歩いていく本。インドの奥へ。
第4位 山本 高樹「冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ」雷鳥社
昔、インドを旅した時、デリーでよくした話は、「これからどこに行く?」「スリナガルかレーか・・、とにかく涼しいところへ」。結局僕はどちらにも行かなかったけど、北インドは今でも憧れている。
レーから旅の入り口バクラ・バオまでは車で数時間。道はそこで途絶え、急峻な地形に阻まれて冬の間はその先に行くことはできない。陸の孤島。ただ、厳冬の時期、ザンスカール川が凍ってしまう時期を除いては。
川の上の氷の道を地元ではチャダルという。そのチャダルを辿ってヒマラヤの麓、チベット仏教を信仰する人々が暮らす、ザンスカールという土地をの最深部までを巡る。土地の人々の家、多くはガイドの親戚の家だが、に泊まりながら、その土地で暮らす人々の冬の生活、信仰が淡々と描かれる。
旅の途中から考えるのは、「ミツェ(人生)」のこと。「あれほどまでに強大な自然に囲まれた土地で、わずかな畑と家畜とともにつましく暮らす人生に、意味はあるのか。辿り着くことさえ困難な山奥のゴンパで、瞑想と仏への祈りにすべてを捧げる僧侶たちの人生に、意味はあるのか。」。静かに、著者は答えを見つける。
この旅の最中もレーと繋がる道路の建設が進んでいた。今頃はもう一年中外界とつながっていて、この冬の旅も、ザンスカールの冬の生活も完全に過去のものとなっているかもしれない。
合計したら25年くらい広島で過ごしている。 一年中原爆に関するニュースが新聞には溢れている。広島以外で原爆のことが紙面に載るのはほぼ8月の1週間だけ。最初に広島に来た時には、この事実に驚いた。そして今もその廃絶に向けて多くの方が一生懸命取り組んでいる。
一方、廣島は軍都だった。宇品港から出征した数百万の兵士や船舶の船員は二度と戻ってくることがなかった。
第5位 堀川 惠子「暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」 講談社
なぜ広島に原爆が落とされなければならなかったのか? この疑問を突き詰めことから著者の取材は始まった。
かつて廣島は軍都だった。日清戦争を機に廣島に大本営が置かれた。それはよく知られた事実。
大本営から少し南、宇品の港から「陸軍」の兵士が大陸に送り込まれた。日清戦争から日露戦争、シベリア出兵、満州事変、日中戦争から太平洋戦争と陸軍の兵士は宇品から戦地へ送り込まれた。担ったのは陸軍船舶司令部、暁部隊と呼ばれた。補給と兵站も一手に担った。そんな港は全国で廣島だけだった。
暁部隊の3人の司令官を通じて、太平洋戦争の無謀と国民の無残を描く。海は生命線だった。資源のない日本にとって、海と船は生命線だった。全て海を通じて、もたらされた。安全な海と十分な船がない限り、戦争を遂行することは不可能だということを宇品の司令官は知っていた。だから、「船舶の神」田尻昌次中佐は対米開戦に反対し、そして罷免された。その他二人の司令官たちの思考と行動、そして破滅。
もう一つの「失敗の本質」。それにしても「ナントカナル」の戦争計画の杜撰。それが数百万の国民の命を奪った戦争のすべて。「輸送」は科学。現実。「ナントカ」はならないのである。
これも僕的には旅本。60年代のアフリカ。
第6位 服部 正也「ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版」 中公新書
1965年から1971年の話。日銀からルワンダの中央銀行の総裁に着任。最初の数時間の面談で大統領から絶大な信用を得て、中央銀行による通貨政策だけではなく、大統領の依頼の元、同国の経済の再建計画を立案、実行する。当時国際通貨基金は独立まもないアフリカ各国で経済、財政計画を作成し支援してたが、実際にはうまくいっていなかった。それらを見てきた著者は別のアプローチでルワンダの経済を成長させ、国民生活環境を改善していく。
それは、外国資本からルワンダ国民に経済の主導権を取り戻す取り組みであった。富を国外に逃さず、国民資本を蓄積していく。農民や商人の小商いから支援していく。今でいう、マイクロファイナンスのはしりのようなものか。
著者は最後にこう書いた。「途上国の発展を阻む最大の障害は人の問題であるが、その発展の最大の要素もまた人なのである。」途上国だけではなく。全ての組織に当てはまる言葉である。
先に、地球人は基本的に優しく親切・・・と書いたが、ある時期ある場所においてそうではない場合があるのかもしれない。
第7位 北澤 豊雄「 混迷の国 ベネズエラ潜入記」 産業編集センター
北澤豊雄は快著「ダリエン地峡決死行」の著者。コロンビアの日本料理屋「侍や」を拠点に中南米を旅するライターが破綻国家と噂されるベネズエラに2019年に3度「潜入する」。潜入すると言っても、不法入国するわけではない。スポーツ記者と偽ったり、単なる旅行者と偽ったり・・・まあ、そんな感じで入国し、取材する。
世界一の埋蔵量を誇る石油で豊かな社会経済を作っていたベネズエラだが、どこでどうしたのか・・今や最低賃金が月額400円(時給ではない、月収!)の国になってしまっている。そして、報道で伝えられる悲惨な状況。
その本当を見たいと思った著者はいろんな手段を使って使って「潜入」する。何しろ「ベネズエラに行くコロンビア人の商人、十人中六人が帰ってこない」と言われるくらいに危険らしい国なのである。しかし、実際に著者が見た街には貧者が溢れているわけでもなく、まして死体が転がっているわけではない。
しかし、やっぱり強盗に会うし、騙されるし、警察に拘束されるし、賄賂を要求される。命の危険はいつもそこにある、という感じ。ベネズエラでたくましく生きる人々のこと、破綻しかけた国の警察などの腐敗、月収400円の経済の仕組み・・ドキドキが止まらない潜入記。
21世紀のこの地球のことである。
普通にそこにあるもの、当たり前だと思っていること、それは決して自明ではなく疑ったほうがいい。
第8位 マイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」 早川書房
「能力主義」を疑え。
なぜトランプ政権が誕生し、ブレグジットが起こり、世界各地でポピュリストが支持されるようになったのか? そこに、自らに尊厳を持てなくなった人たちの存在を見る。そしてそれは、「能力主義」を推し進めてきた結果なのだという。
「勝者は自分たちの成功を「自分自身の能力、自分自身の努力、自分自身の優れた業績への報酬に過ぎない」と考え、したがって、自分より成功していない人びとを見下す事だろう。出世できなかった人びとは、責任は全て自分にあると感じるはずだ。」そしてそれが学位を持つものと持たないものの決定的な断裂を生んでいるのが、現在のアメリカ社会という。
最後に著者はこう書く。「人はその才能に市場が与えるどんな富にも値するという能力主義的な信念は、連帯をほとんど不可能なプロジェクトにしてしまう。いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか? その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分の力だけで身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ・・・」「能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ」
40年くらい「大学」に関わっている。ずっーと、このままでいいのか? という疑問は持ち続けている。解は分からなないけど、世界が隅々までグローバル化されていく中で、日本の大学だけがガラパゴスであり続けるのは難しいだろう。
第9位 吉見 俊哉「大学は何処へ」 岩波新書
あとがきで著者は書く。「日本の「大学」は、実は大学=ユニバーシティではなかったのだ! 」。つまりそういうことである。明治維新、戦後の学制改革を経て、そして現在も永遠と続く「大学改革」は結局日本の「大学」を大学=ユニバーシティとして機能させることにはならなかった。むしろ大学=ユニバーシティから遠ざけることになった。その歴史を辿る。
オンラインを最大限に生かしたミネルヴァ大学のあり方も、日本の大学が多分今後も強化していくであろうオンライン化と似て非なるものである。現在もそうだが、日本の大学のオンライン化は学生をアパートの個室に閉じ込め、時間も空間も個別化するものであり、ネミルヴァ大学のキャンパスはないが全寮制である・・・とは全く異なるものである。
著者は言う、「第三世代の大学の使命とは、世界哲学や世界人文学、様々なリベラルアーツ的な知を通じて自由な地球市民を育てていくことだ」と。多分その通りである。
そして、そのために日本の大学は何をしなければならないか。著者はいくつかの方向性を出すが・・・・おそらく著者自身はそれができるかとどうかについて懐疑的である。
日本の社会のこれまでと今を見る限り、それを知れば知るほど絶望的になる。「世界哲学や世界人文学、様々なリベラルアーツ的な知」を失った為政者にこの変革は可能なんだろうか?
そして、最後も歩く旅。リヤカーを引いての徒歩旅3部作の3作目。今年、2作目、3作目、1作目の順で読んだ。
第10位 吉田 正仁「歩みを止めるな! 世界の果てまで952日リヤカー奮闘記」 産業編集センター
2015年秋、南米大陸の最南端、アルゼンチンのウシュアイアから始まったリヤカーを引いた徒歩での旅は、2018年5月、北極海を臨むカナダの寒村トゥクトヤクトゥクで終わる。ユーラシア大陸、オーストラリア大陸、北米大陸を横断し、アフリカ大陸をリヤカーを引いて縦断した著者の最後の旅である。
時速5Kmの旅で、たくさんの人と出会い、その親切に触れ、そして信じられないくらい美しい風景に会う。コロンビアやエルサルバドルなど治安が悪いと言われている国でも、当たり前だけど人々は普通に生活しているし、そして親切に旅行者を助け、著者は旅を続ける。
サイクリスト(もちろん徒歩旅行者も)のために宿を提供するパン屋さんやレストラン、消防署(!)、出会ってすぐに「うちに泊まればいい」と安全なベッドと熱いシャワーと温かい食事を提供してくれる多くの人々。すれ違いざまに、追い越しざまに飲み物や食料とそして笑顔と素敵な言葉をくれるもっと多くの人々。そこには、チャレンジや勇気や冒険をリスペクトしながら、共に同じ時代を生きている人間への優しい眼差しがある。著者の体験が羨ましい。
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